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社会の出来事 | 秋山孝年譜 |
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1952年(昭和27)
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●1952年(昭和27)…0歳
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1953年(昭和28)
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●1953年(昭和28)…1歳 |
1954年(昭和29)
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●1954年(昭和29)…2歳 |
1955年(昭和30)
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●1955年(昭和30)…3歳 |
1956年(昭和31)
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●1956年(昭和31)…4歳 |
1957年(昭和32)
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●1957年(昭和32)…5歳 |
1958年(昭和33)
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●1958年(昭和33)…6歳
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1959年(昭和34)
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●1959年(昭和34)…7歳 – 小学1年
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1960年(昭和35)
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●1960年(昭和35)…8歳 – 小学2年 |
1961年(昭和36)
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●1961年(昭和36)…9歳 – 小学3年 |
曾祖母・タカは、慶応2年の生まれ、祖父・惣七は明治生まれ、その佇まいは近付きがたいものがありました。
人間は、ある物・事・風景に出会うと心が動きます。それを人に伝えたい・表現したい欲求、それが芸術(美術・音楽・文学など)へと昇華するのです。ぼくは、長岡の生まれで長岡育ちです。代々長岡の土着で信濃川のふもとで生活を営んできました。そう考えると生粋の長岡っ子で祖先から親、子に受けつがれたDNAによって基本的な部分が形作られているのです。
ときどき長岡に帰郷すると、長岡の東山や信濃川などの自然の美しさに、ぼくの美の根底となる基準を垣間見るような思いに駆られることがある。真っ白な雪の風景や生活、それに秋の黄金色の収穫の時期、夏の花火の華麗な世界など美的な調和のとれた風景からだ。それが、ぼくの原風景といえる。
小学生のときは、絵に対する興味がとくに強かったわけではありません。ぼくの通っていた小学校は、新潟県でいちばん美術の授業が進んでいる小学校で、1年生担任の内藤先生が美術の先生でした。その後、高校に入っても美術の先生には何かと縁がありました。折にふれて美術の先生に進路の相談をしたり、そう考えれば環境には恵まれていました。
また、児童絵画コンクールなどに出品して賞をもらう喜びをあじわいました。賞をとれば、みんながおだててくれます。それに自分も乗って、ひょっとしてぼくは絵が好きなのかもしれないって思うようになったのです。それが、ぼくの子供時代でした。