Profile

秋山 孝 Takashi Akiyama

1952年新潟県長岡市生まれ
多摩美術大学卒業・東京芸術大学大学院修了・多摩美術大学教授

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社会の出来事 秋山孝年譜
1952年(昭和27)

  • 血のメーデー事件
  • ヘルシンキ五輪大会、日本も初参加
  • PTAが誕生
  • 「Graphis Annual」創刊(スイス)
●1952年(昭和27)…0歳

  • 5月18日、新潟県長岡市宮内(古志郡上組村宮内)に生まれる(1954年古志郡上組村が長岡市に編入合併)
1953年(昭和28)

  • キューバ革命(1953-59)
  • 中国「第一次5カ年計画開始」
  • ヨシフ・スターリン死去(ソビエト)
  • 朝鮮休戦協定
  • 吉田茂首相「バカヤロウ解散」
  • NHKがテレビ放送を開始
  • 横綱羽黒山引退
  • 日本初のスーパー「紀ノ国屋」が東京青山に開店
  • 第3回日宣美展(日本橋・三越)この回から一般公募始まる
●1953年(昭和28)…1歳
1954年(昭和29)

  • アメリカ、ビキニ環礁で水爆実験「第五福竜丸」
  • 中華人民共和国憲法制定、毛沢東が国家主席に
  • 日本初のSF映画「ゴジラ」公開
  • 日本テレビ系プロレス中継、力道山活躍
  • 東京ADC第1回展(銀座・資生堂画廊)
  • グロピウスとバウハウス展(東京国立近代美術館)
  • 「プッシュピンスタジオ」設立(米国)
●1954年(昭和29)…2歳
1955年(昭和30)

  • 10月1日新潟市で大火
  • ロサンゼルス、ディズニーランド開園(ディズニー55歳)
  • 広島で第1回原水爆禁止世界大会開催
  • 森永ヒ素ミルク事件
  • トランジスターラジオ、リコピー、電気釜発売
  • 原弘、河野鷹思、亀倉雄策、伊東憲治、早川良雄、山城隆一
    グラフィック55?今日のグラフィックデザイン展(日本橋、高島屋)
●1955年(昭和30)…3歳
1956年(昭和31)

  • 日本、国際連合に加盟
  • フルシチョフによるスターリン批判
  • スエズ動乱
  • ハンガリー暴動
  • 弥彦神社2年参り福もちの奪い合いで124人圧死
  • 「宗谷」で第一次南極観測隊が出発
  • 横山光輝「鉄人28号」連載開始
●1956年(昭和31)…4歳
1957年(昭和32)

  • ソ連、世界初の人工衛星「スプートニク」打ち上げ成功
  • 東京人口世界一
  • 三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)
  • 東京ADC賞制定。金賞=大橋正「明治製菓の新聞広告イラストレーション」
●1957年(昭和32)…5歳
1958年(昭和33)

  • 日米安保条約改定交渉開始
  • 中国「大躍進政策」開始
  • 東京タワー完成
  • 一万円札発行
  • NASA(アメリカ航空宇宙局)発足
  • 特急「こだま」運転開始
  • 即席「チキンラーメン」
  • 「フラフープ」流行
  • マイカー時代
  • 年間広告費1000億突破
●1958年(昭和33)…6歳

  • 宮内保育所入所
1959年(昭和34)

  • 中国国家主席が毛沢東から劉少奇に交代
  • キューバ革命政府が成立
  • 皇太子(現=天皇)ご結婚
  • 「伊勢湾台風」死者5041人
  • 中ソ間イデオロギー対立激化
  • トランジスタ使用のコンピューター
    「IBM1401」登場
  • テレビ朝日系「ローハイド」始まる
  • 「黒いはなびら-南国土佐を後にして」がヒット
  • トランジスタグラマー、カミナリ族
●1959年(昭和34)…7歳 – 小学1年

  • 長岡市立上組小学校に入学する(4月)
    担任:内藤先生
  • 「新潟県小学校図画展覧会」佳作
    主催:新潟相互銀行
1960年(昭和35)

  • 安保条約反対闘争
  • 自民党所得倍増計画・高度経済成長政策発表
  • チリ地震津波襲来
  • カラーテレビ本放送開始
  • 日本専売公社が「ハイライト」のデザインを公募
    多摩美大生だった和田誠のデザインが採用となる
●1960年(昭和35)…8歳 – 小学2年
1961年(昭和36)

  • 中国「大躍進政策」停止
  • ソ連が世界初の有人宇宙旅行
    (ボストーク1号)に成功
  • ベルリンの壁構築
  • 韓国で軍事クーデター
  • 新潟36年豪雪
  • 「コカ・コーラ」日本発売
  • 「上を向いて歩こう」がヒット
  • 東京ADC賞。金賞=亀倉雄策
    「東京オリンピック公式ポスター」
●1961年(昭和36)…9歳 – 小学3年
左:曾祖母 秋山タカ 右:祖父 秋山惣七

曾祖母 秋山タカ
祖父 秋山惣七

曾祖母・タカは、慶応2年の生まれ、祖父・惣七は明治生まれ、その佇まいは近付きがたいものがありました。

父 誠治(大正7?平成20) 母 トシ(大正9?平成5)

父 誠治(大正7?平成20)
母 トシ(大正9?平成5)
父・誠治

父・誠治が第2次大戦中国出兵中、長岡は、1945(昭和20)年8月1日22:30から翌2日の1時間40分アメリカのB29戦略爆撃機125機による焼夷弾爆撃を受けた。投下された焼夷弾の量は925トン、16万発余の焼夷弾子弾が豪雨のように長岡に降りそそいだ。市街地の約80%が焦土と化し、学童約300名を含む1,470余名の生命が失われた。そして、宮内駅前の我家、親戚も全焼した。
秋山家系図

2005(平成17)年4月30日に秋山誠治米寿を祝う会に際し、秋山家系図を制作することにした。ところが家系を追っていくと、託念寺の過去帳に出会ったが明治17(1884)年に寺が火災に遭い記録を失ったとのことだった。そこで、過去は止まった。
長岡の自然(風景)から与えられるもの・『自然の音と形と色』

人間は、ある物・事・風景に出会うと心が動きます。それを人に伝えたい・表現したい欲求、それが芸術(美術・音楽・文学など)へと昇華するのです。ぼくは、長岡の生まれで長岡育ちです。代々長岡の土着で信濃川のふもとで生活を営んできました。そう考えると生粋の長岡っ子で祖先から親、子に受けつがれたDNAによって基本的な部分が形作られているのです。

ぼくの原風景

ぼくの原風景

ときどき長岡に帰郷すると、長岡の東山や信濃川などの自然の美しさに、ぼくの美の根底となる基準を垣間見るような思いに駆られることがある。真っ白な雪の風景や生活、それに秋の黄金色の収穫の時期、夏の花火の華麗な世界など美的な調和のとれた風景からだ。それが、ぼくの原風景といえる。

描いた絵をほめられて

描いた絵をほめられて

小学生のときは、絵に対する興味がとくに強かったわけではありません。ぼくの通っていた小学校は、新潟県でいちばん美術の授業が進んでいる小学校で、1年生担任の内藤先生が美術の先生でした。その後、高校に入っても美術の先生には何かと縁がありました。折にふれて美術の先生に進路の相談をしたり、そう考えれば環境には恵まれていました。
また、児童絵画コンクールなどに出品して賞をもらう喜びをあじわいました。賞をとれば、みんながおだててくれます。それに自分も乗って、ひょっとしてぼくは絵が好きなのかもしれないって思うようになったのです。それが、ぼくの子供時代でした。

上組小学校入学式 秋山孝(1959)

上組小学校入学式 秋山孝
母・トシの快気祝い 秋山孝(1961)

母・トシの快気祝い 秋山孝