第2章:技法



19世紀から20世紀の海外のクリエイション


荒井:今では一般的になったイラストレーションですが、当時は非常に斬新なものだったんですね。その当時、影響を受けたイラストレーションなどがあれば教えて頂けますか?

秋山:ぼくは海外で活躍しているユーモアに溢れたイラストレーションやポスターに強く心を打たれました。そこには明るさや表現の自由さが満ちあふれていて、日本では見ることのできない感覚と表現が多々ありました。ぼくがなぜ日本ではなく、海外のものに影響を受けたかというと、見た事のないエキソティスムに新鮮さを覚えたからでしょう。日本的でもないし中国的でもない新鮮な西洋のカートゥーンだったのです。


例えば、エドワード・リア(1812-1888イギリス)、

エドワード・リア/wikipedia/1870

ジョージ・へリーマン(1880-1944アメリカ)、
レイモン・サビニャック(1907-2002 フランス)、

レイモン・サヴィニャック/wikipedia/1988

ヘンリク・トマシェフスキ(1914-2005 ポーランド)、

ヘンリク・トマシェフスキ/wikipedia/1966

ルー・メイヤー(1915-1992 アメリカ)、
アンドレ・フランソワ(1915-2005 ルーマニア)、

アンドレ・フランソワ/Takashi Akiyama Homepage Tokyo

ヤン・レニッツア(1928-2001 ポーランド)、

ヤン・レニッツア/Takashi Akiyama Homepage Tokyo

ヤン・ムウォドジェニッツ(1929-2000 ポーランド)、

ヤン・ムウォドジェニッツ/Takashi Akiyama Homepage Tokyo

シーモア・クアスト(1931- アメリカ)、

シーモア・クアスト/pushpininc

トミー・アンゲラー(1931- フランス)、

トミー・アンゲラー/Wikipedia/2014

エドワード・コラン(1935- アメリカ)、
ミッシェル・クワレーズ(1938- フランス)、

ミッシェル・クワレーズ/Takashi Akiyama Homepage Tokyo

ロバート・クラム(1943- アメリカ)などです。


つまり19世紀から20世紀に活躍したセンスの良いヨーロッパ人とアメリカ人です。 また、作風において共通点をあげるなら、かわいらしさがあることです。 日本の漫画やコミックスとは違い、デッサンを下敷きにした表現力を持っています。 そして、それぞれの時代背景や特徴を分析して、素晴らしく想像力豊かな画面を作りあげています。 ぼくは彼らをとても尊敬しています。 名前をあげた半数の人にはインタビューをし、作品もコレクションしています。


日本人では、手塚治虫(1928-1989 日本)、福田繁雄(1932-2009 日本)をあげたいと思います。



手塚治虫/秋山孝イラストライブラリー/1988

福田繁雄/秋山孝イラストライブラリー/2008


手塚治虫さんはパイオニアからでたレーザーディスクのジャケットや解説書のデザインをさせていただいたり、話もよくさせてもらいました。 福田繁雄先生は、ぼくが東京藝術大学大学院生として福田研究室に在籍していたこともあり影響は絶大なものでした。


自分だけの技法

荒井:多くのクリエイターから様々な影響を受けたと思いますが、絵を描く際の技法に何か具体的な変化はありましたか?

秋山:技法の話の前に、まずメディアの話を少しさせてください。ぼくが大事にしているメディアは「ポスター」と「本」です。ポスターは美術館に展示すると、とても映え人々に感動を与えます。また本はぼくたちの心を豊かにしてくれます。両者とも紙の上に印刷する技術によって、複数の印刷作品ができ上がる。軽快感やフットワークの良さがあり生活と共にあるもので身近な存在です。


ぼくはその印刷メディアに適した技法を、自分なりに編み出してきたと言えます。 現在ではコンピューターのツールが日常的になりましたが、それ以前は紙に描き、それを印刷機で大量印刷していました。 そこにしかない特徴を活かし、スピーディーに作品を作るための技法を考案しました。


例えば、コンピューターを使う前は、オフセット印刷の指定原稿入稿をしていたので、色彩に関しては、シアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色によるドットの掛け合わせで出来る指定原稿を作り、印刷入稿をしていました。 ですから、それぞれの色のパーセンテージで色の響き合いがどうなるかということは、色を塗らなくても想像できるように修練しました。 つまり、脳内で色彩のハーモニーを作り上げることができるように訓練したのです。


荒井:作家たちからの影響と共に活躍するメディア、つまり環境から受けた影響も大きかったと?

秋山:そうですね。そして色彩だけでなく線についても本当に考えさせられました。 1本の線にその人の魂が宿ると考え、線の特徴、強さや弱さなどを詳細に研究しました。 筆で引く線とペンで引く線との違いなど、1本の線が語る意味を認識し、ぼくが引くべき線とは何かを考え抜きました。 人とは絶対に違う秋山孝の線に執着し、こだわり、その中からしか生まれてこない形をぼくの声とし、語りかけ、話しかけ、あるいは歌いかけるということを重要視しました。 そして過去に線を引くことを表現としたアーティストとの線の違いを見つけ出す事が、ぼくだけの線を認識することに他ならないことがわかりました。 「たかが一本の線」誰でも引ける線ですが、これほどまでに感情が入り込み、そしてその人の持っているセンス、美意識が現れ出るものは他にないと考えています。 ぼくの線は細い線ではなく、しなやかなでおおらかな魅力を発するよう心がけています。 つまり細い線は、ナイーブで繊細な美がそこに表れ出てくる場合が多く、ぼくの線とは対比的なものとなっています。

いろんな人達の引いた線を見る度、その筆記用具に対して、いつも興味を持って観察しています。 そうする事によって初めて1本の線の魅力を理解する事ができるのだと思います。 人間が生まれて死ぬまでの間に、どのような線を引くのか?それが大変魅力的なものだということを、是非、皆さんに知ってもらいたいと思っています。 そこには生々しいその人だけのメッセージがあり、忘れ去ることのできない記録として、ぼくたちに感動を与えてくれることは間違いありません。 また、線にはコンピューターでできる概念の線と人間の持つ脳から指令された筋肉が語る線の違いもありますので、その点も注意深く観察してほしいと思っています。


荒井:環境のみならず過去の作家たちの作品を観察し、オリジナルの技法を確立していったと。

秋山:ぼくの技法の成り立ちを考えるとそうなりますね。 そして少し話を戻して、色彩についてもう少し説明させてください。色は人々の心を、色彩の持っている輝きによって、包み込むような力を持っています。 その色の持っている性質や特徴を色面の大小によって響かせ、色のもともと持っている意味を、どれだけ自由に扱えるかが重要になります。 同じ1つの色でも面積によって、あるいはその色の絵の具の顔料によって、心を包み込み、そして支配する力は異なってきます。 または、その色彩を切り取ることによって、色の独自性を自分の物とし獲得する事も可能です。 何でも自由に扱える色彩ですが、これもぼく独自の技法を確立する事が大切でした。

Help (duck)/秋山孝イラストライブラリー/1981


それは、ぼくの持っている作品のイメージを作り上げるという力があるからこそ、より敏感に、その色の独自性を引き込む方法を考え抜きました。 感覚的、あるいは論理的に色の組み合わせを作り上げなければ、色彩をコントロールできず色彩に支配されてしまうことになります。 クールさが必要だと思っています。 色彩が均一に塗られた面と重ね合わせて出来た色と、マチエールを作った色との持っている違いについても、自分なりの回答を出さなければいけないと考え、ぼくは出来る限りフラットな色の独立を自分のものにしたいと思い、こだわりました。 それは印刷機にしか出来ないフラットな面が当たり前で美しいと思えたからです。


荒井:技法の話になると語りたい事が多くて止まらないといった感じですね。 個人的に秋山さんの作品は、おっしゃるとおりフラットな面、凹凸を感じない作品が多いと感じていました。 さらに原色に近い色を意識的に使っているではないかとも思うのですが、それにも何か理由があるのでしょうか?

秋山:ぼくはこどもの時から色紙がとても好きでした。色紙を見ると清潔で、その色のなかに入り込んでいく自分がいて、色が持っているイメージから様々なものを想像し、さらに膨らませ楽しんでいました。その色紙に誰かが悪戯をして汚れたり、折り目がはいって凹凸などが出来ると本当にがっかりしました。色の持っている純度の高い美に対しての快感があったのだと思います。


一枚の色紙を凝視していると、そこに無数の色が見えてきたり、あまりにもシンプルな色なので花畑に見えたり、空に見えたり、海に見えたり、森林に見えたり。 自然界にある美しい色が一枚の色紙のなかから見えてくるのです。 なんとも気分が良く誰にも犯されない聖域のような神がかったものまでもが想像できるのです。


千代紙なども折ったり曲げたり切ったりしてほしくないくらいです。 なにもしないそのままが、美しく輝きを持っていると感じるからです。 その良さを失うのはもったいないですし、美しさを消してしまうようで悲しくなってしまうのです。

京千代紙/wikipedia


荒井:単色の一枚の紙から、そこまで想像することは私の感覚ではなかなか共感しづらい話ではあるのですが、秋山さんにとっては当たり前の感覚なんでしょうね。

秋山:さらに言えば紙自体もぼくにとっては清く神秘性を持ったものに感じられます。 ピーンと張りつめた緊張感があり、純粋な紙自体が持つ白のなかには暖かい白から冷たい白など様々なものがあり、さらに紙のわずかな凹凸にも冷たいものから暖かいものを感じます。 ぼくはそれに対して強く反応します。 ぼくにとって紙一枚は聖なる領域のように感じるのです。 つまらない文字を書いたり、折り込んだりして、手を加えてほしくないと思う時が多々あるのです。


同じく黒にも、赤みがかった黒、青みがかった黒、緑がかった黒、黄色みがかった黒と奥行きがあります。 さらに吸い込まれるような黒、夕空のような黒、墨のような黒、漆を磨きこんだ黒と、見ていてゾクゾクするような黒の魅力があります。

墨/Wikipedia

漆/Wikipedia


もちろん油絵やアクリル絵の具が紙に染み込んだ色や、凹凸のある色にもぼくは反応します。 しかし、ピーンと張りつめた感覚を持った凹凸のないマチエールが、ぼくの色に対する基準になっています。 さらに色には今話した内容でもわかるように、イメージがありメッセージがあるということがわかると思います。 その結果、ぼくの作品はあまり多くの色を使わず、色の持っている独自性を残しているのです。


荒井:なるほど!紙や原色の持つ強く清らかなイメージを大事にしたいからこそ、あのようなシンプルな配色や構成になるんですね。 秋山さんの作品は「もの派」や「ミニマルアート」に近い印象を受けます。

秋山:少し極端な話になりますが、地球上にあるもので美しくないものはないと思っています。 しかし、美しく見えないという先入観があるものがたくさんあります。 そういうものをよく観察し、美しい質感や色などの「モノ」を発見し、再認識し抽出して立体のオブジェや彫刻として見ると、そこはかとなく心に響く形や質感、空間が見えてきます。 例えば、廃棄場の錆びた鉄の色を見ると、最初に感じるのは廃棄場全体の印象です。 廃棄する虚しさやゴミの持っている印象がダイレクトに伝わってきます。 しかし、錆色は決して汚いものや虚しいものではありません。 それよりもむしろ、日本の伝統の茶の湯の世界にある「侘び」や「寂び」の持っている静けさや、世俗から離れた閑寂でゆったりとした時間などを連想させ、簡素で質素な孤独感のある美として受けとめることができます。


そのためには鉄の錆びた状態を抽出して、それを清楚な場に設置し凝縮して観察する。 そこはかとない静寂感をぼくたちに与えてくれます。錆びている鉄の一片は平面というよりも、ものとしての実在感があるので光や影によって見え方が異なったり、色の状態が変化したりします。 その都度異なった錆の美しさを発見することができるでしょう。それは光の反射角度の違いに伴う変化や、湿度などにも大きく影響されます。

09 Map 2003/Takashi Akiyama Homepage Tokyo


さらに石も同じことが言えて、石彫や庭園の石なども自然界と絡み合い、風化し劣化したりする時間から、味わい深い色や質感が見えてきます。 苔なども非常に魅力的です。 また、これらは木彫にも言えて、彩色された色彩がはげ落ちるなど、風化するプロセスは人々の心に激しい共感を与え、よりいっそう時間の儚さを感じさせます。 それは人が有限の生き物だということが実感できる稀有な瞬間であるように思います。

無著像/運慶工房作/wikipedia/鎌倉時代/興福寺


荒井:ブロンズ像などもわざと腐食させたりしますし、仏像も修復されたものより、時間の経過の痕跡が見てとれる物の方が人気があります。 人間はそのような言葉にしづらい感覚、時を感じる美意識のようなものを持っているのかもしれませんね。

秋山:ブロンズ像など時間に耐え腐食したり、剥落したりしながら何千年も生き続けたものを見ると、ぼくたちはその遥か彼方の時まで遡り想像し、人間の本質を探すのでしょう。

アルテミシオンのゼウス(ポセイドン)/wikipedia/アテネ国立考古学博物館


それとは逆の考えになりますが、ぼくは発光する色にいたく感じるものもあります。 それは今から42年前の美大の受験勉強をしている時に、新宿駅の小田急か京王線の周辺に電飾の広告を見た時でした。 それはグリッドに別れ、青、黄、緑、オレンジなど豊かな色彩を放っていました。

新宿駅西口前/wikipedia/2012


それをじっと見ながら、どうしたらこの色が出るのかと考えました。 答えは簡単で、反射光と発光色には大きな違いがあることに気づきました。 反射光はあくまでも太陽など主体となる強い光があり、ものが反射することによって光を認識しますが、先ほど言った電飾は、電飾それ自体が発光した色を認識するという大きな違いがあります。 その力強い色にぼくは感動した訳です。


皆さんが普段見ているテレビやコンピューターのモニターなどは、発光し輝き続けている色です。 また、ローソクの光、たき火の光、台所で見ることのできるガスコンロの火、青みがかった発光色を原点とした色も、それぞれ時代の変化によって、「発光する色」に違いがあることがわかると思います。 発光する色は、より現代的な人工環境のなかで増加してきた色彩と言えます。

火を点したロウソク/wikipedia

木の枝を使った焚き火/wikipedia

ガスコンロの火/Photo index


荒井:色にも原始的なものと現代的なものがあり、それぞれの色から受ける印象には違いがあると。 確かにそうですね。

秋山:最後に、グラデーションについても説明させてください。 グラデーションには独自の魅力があります。 それは、実から虚への移行における状態のメッセージ性です。 ぼくにとって、軽さの表現は、このグラデーションを排除することによって生まれました。 色のインクの厚さの表現は、見る人の感覚を大きく支配します。 オフセット印刷はインクの量が少なく重厚感がありません。 それに比べるとシルクスクリーン印刷は大量のインクを使うため、この違いは如実に表れます。 ぼくのこだわったフラットな色面にとっては大きなポイントでした。

さまざまなグラデーション(1~12段目)/wikipedia


自分だけの表現

荒井:考え抜いた秋山さんの技法、作品制作へのこだわりをヒシヒシと感じます。 環境から始まり、過去を知り、己を知り、自己の表現をひとつひとつ探求していく。 とても勉強になります。 もしよければ実際に参考にした作品を例にあげて、具体的に技法を解説してもらえないでしょうか?

秋山:ぼくの線についての考えを説明するヒントとして、日本の浮世絵の鈴木春信を取り上げたいと思います。 上方文化に依存したものから新しい文芸が江戸に誕生し、鈴木春信(1725?~1770)は浮世絵版画という表現のなかで、繊細優美な「粋」を描きました。 その作品の中に1767年頃制作された「雪中相合傘」があります。 雪の中の柳の下で男女が傘をさし、恋人達の切ない愛を描いています。

雪中相合傘/鈴木春信/wikipedia


そこで表現されている微妙な粋は極細い線で描かれ、微妙な心の機微を語っています。 浮世絵は板目木版で刷られ、絵師、彫師、刷師の技術のもとに印刷されたもので、世界に名だたる芸術作品として評価されています。 そこには繊細で微妙な技が見られます。 何度も印刷すると木版のエッジが甘くなり、シャープな線が見られなくなります。 つまり「細いシャープな線=美しさ」であり、それは江戸の粋でもありました。


ところがそれに引き換え、ぼくの引く線は太くてグニャグニャしている。それは江戸の粋からほど遠い、野暮な線という事になります。 細い線は繊細、太い線はおおらかという役割を持っています。 ぼくは、おおらかなイメージを作り上げようとしました。 江戸の粋とは逆説的なアプローチです。そこにぼくの新しい感覚があったのではないでしょうか。 キーワードは、おおらかで、伸びやかで、包み込むような世界感だったのです。 もちろんユーモアという大切なコミュニケーションの力を発揮させるためのものでもありました。

秋山孝のイラストレーションポスター in 福島/秋山孝イラストライブラリー/2007


次にグラデーションについて話しましょう。 例えば夕暮れの空を見ると、太陽の光が微妙に変化し、美しい諧調を見せてくれます。 秋の山を見ると、山は緑から変化し、黄色や赤に色が変わり、美しい色彩のハーモニーを見て取ることができます。そこには色の変化、グラデーションが見えてきます。 また墨絵などを見ると黒一色なのですが、山を描いたり自然を描く時に黒から白までの美しい諧調を見る事ができます。

例えばイギリスのターナーの絵を見てください。 「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」は1844年に描かれたものですが、ほとんど空気を描いています。

雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道/ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー/wikipedia/1844/ロンドン、ナショナル・ギャラリー


それは空であったり、蒸気であったり、雨であったりで、機関車の形ははっきりと描かれていません。 あるのは、その形にならない空気、蒸気、雨を微妙なグラデーションを使い表現しています。


また、水墨の名作、長谷川等伯(1539-1610)の「松林図」を見ると、描かれている屏風の半分以上が、山中にたなびく靄を描いています。

松林図屏風/長谷川等伯/wikipedia/1593-95年頃/東京国立博物館


白から微妙に変化した墨の濃淡、まったく描かれていない屏風を使い、鑑賞者達をいつの間にか引き込むような、松林の中に自分がいるかのような感覚を与えます。とても余韻のある名作だと思います。 それに引き換え、ぼくの作品はこれらの微妙な要素を排除し、グラデーションの無いベタ面で表現しています。 つまり、余韻だとか空気だとか、そのような絵画の重要な要素を乗り越え、絵の具のフラットな表現の中にすら、グラデーションの持っている余韻を表現したいと思ったからです。 色自体が持っているフラットな色面にも人の心を動かす力があることを認識し、その色の独自性をぼくの表現に取り入れました。 その結果、ストレートなコミュニケーションと共に色彩が語る強さを得ることができました。

「越後百景十選」 秋山孝ポスター展4/機那サフラン酒本舗/ Takashi Akiyama Homepage Tokyo/2012


さらに絵の具の厚み、物質感について語りましょう。 ポスト印象派の代表的画家であるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853 - 1890)は、20世紀の美術に大きな影響を与えた表現主義の先駆的存在です。 彼が描いた「二本の糸杉」を見ると、絵の具が盛り上がり、うねり渦を巻くような勢いで描かれています。 この厚塗りからは、彼の情熱のほとばしりのような強い意思を感じます。 それは何故か、人間というのは人と会話していても強弱があり、高揚してくると声が大きくなり張りがでます。 つまり絵具の厚みを利用して、その人の大切な主張と感動を表してるということです。

二本の糸杉/フィンセント・ファン・ゴッホ/wikipedia/1889/メトロポリタン美術館


フォーヴィスムに分類されるジョルジュ・ルオー(1871 - 1958)は、パリの美術学校でマティスらと同期でしたが、画壇や流派とは一線を画し、ひたすら自己の芸術を追求した孤高の画家のひとりです。 親友のマティスとは異なり、祈るかのように絵の具を厚く塗る手法をとりました。

Clown/ジョルジュ・ルオー/MOMA/1912


それに引き換えマティスはうす塗りで、ここまで薄く塗るかという手法をとった。

赤い部屋/アンリ・マティス/エルミタージュ美術館/1908


厚塗りと薄塗りの表現は、先ほど言ったように心の響きに大きく左右します。


そして自分の表現に合わせた時にどちらの表現が合うのか、選択をしなければなりません。 ぼくはうす塗りよりも、厚塗りの作品を見ると強く心を打たれます。 それは先ほど言ったように祈るかのように、絵の具が盛られた状態がぼくの心を支配するからです。 しかし、ぼくが表現として選んだのは本当に薄くてフラットな質感でした。 それはどういう事かというと、現在自分が生きている環境や生活、ぼくのイラストレーションの様式などを考えていくと、うす塗りのフラットな面を選ばざるをえなかったからです。 薄くフラットな面にはフットワークの良い軽さのイメージがあり、ぼくのイラストレーションとぴったり合うものだったからです。

越後百景・十選三番「春の太田川」/ Takashi Akiyama Homepage Tokyo/2012


大学院の修了作品

荒井:詳細な解説ありがとうございます。 対比したものを例にだしていただけたので、秋山さんの技法をより詳しく知ることができました。 しかし秋山さんといえど、最初からそのような技法を確立していたわけではないですよね? 試行錯誤の繰り返しだったと思うのですが、何か自身の技法を確立するきっかけになった作品などあれば教えてください。

秋山:具体的な作品の話の前に、もう一度ぼくが絵を描いてきた経緯をまとめさせてください。 はじめは、ただ絵が好きだったり、心が動いたといった単純な感情で作品と向き合っていました。 小学生の時から絵を描いていたのですが、それはあくまで子供の純粋な絵であって、成長と共に勉強してくると、絵画の歴史や感動した作品の研究を自分なりに行い、自己の表現に取り込むように変化していきました。 歴史や作品の研究をしないと、表現の本質が見えてこないので、表面的な図像から、隠された意図まで、タッチから、絵の具の厚みまで、緻密に研究を行いました。その研究を通して、作品の連続性を理解しないと、本質的な美意識や、時代に呼応したオリジナルは生まれないということがわかり、ぼくは借り物の表現だけで一生を終えたくないと強く感じていたので、技法や考え方、そして時代などを見つめ、青春時代はもがくように実験的に習作を描いた時期がありました。


習作は英語ではスタディ(study)フランス語ではエチュード(Étude)と訳します。 つまり学生時代の表現研究、自分の独自性を発見するためのもので創作のバックボーンとなるものです。 学生時代には基礎学習として、デッサンやデザインの基礎を学び、点、線、面の抽象造形の形、色彩や光、構図について、人体、植物、動物、風景、材料、美術史、デザイン史、イラストレーション原論、美学、哲学などを学んで自己表現へとたどり着きます。 この作業はなんとも時間のかかる研究が要求され、一生を費やしても足りないほどです。


受験時代と大学時代に描いた習作は、石膏デッサン室で描いた石膏像、安井曾太郎のアカデミージュリアン(フランス時代)の裸婦デッサンの模写、自画像などです。 こちらはキャンパスや紙に木炭、鉛筆を使用して描いています。

安井曾太郎人体デッサン模写/秋山孝/1973


続いて、大学周辺の風景「鑓水の納屋」から始まり「姉の新築現場•一輪車」「光の中のニワトリ」「カラス」「スズメの巣」と日常をテーマにリアリスムを意識して油彩で丁寧に描きました。 光と影、質感、それにリアリスムとは何かを研究し「そこにただあるだけで美しいという気持ちがわき起こるのは何故だろうか?」という疑問のもとに、安井曾太郎のデッサンやワイエス、シャルダンから受ける静けさや哲学に想いを馳せました。

姉の新築現場・一輪車/秋山孝/1976

光の中のニワトリ/秋山孝/1976


「軽業師/自業自得」7点シリーズは、大学の卒業制作作品です。 グラッフィックデザインとイラストレーションの関係は絵画表現を使い、言葉にしづらいメッセージと美を視覚伝達することと定義し、その表現技術をものにしなければならないと考え制作したものです。 ロープと軽業師の不安定なバランスを風刺的な表現をもちい孤独な空間を描こうとしました。 わずかなエレメントと色彩だからこそ考え切ることができたような気がします。 しかし学生の域をでない思い込みの強さが見られ、今振り返ると気恥ずかしいものがあったりもしますが。 また当時はグラフィックデザインとイラストレーションの持っている絵画には乗り越えられない軽快感のある表現に強い憧れがあったのですが、この時はどうすることもできませんでした。 その後、それを克服するために大学院があったのだと思います。

卒業制作・軽業師シリーズ自業自得/秋山孝/1979


荒井:やはりこのような時期が秋山さんにもあったのですね。 この習作期を脱するきっかけはどのようなものだったのですか?

秋山:あるとき大きく方向が見えてきたように思います。 丁寧に積み重ねたものが大学院の修了作品で花開きました。

Help (ibis)/秋山孝/1981


この作品は、ぼくがはじめて「この表現を貫いて行こう!」と心に誓ったものです。 それまでは表現ということに対して、方向性や本当にやりたい事が決まらずに混乱していました。 この作品をきっかけに、ぼくは画家ではなく、メディアの中で活躍する新しい画家「イラストレーター」を選んだのです。

新しい画家という言い方をしましたが、ぼくが目指したのはメディアの構造を熟知し、ビジネス構造から社会構造のなかで活躍するという新鮮で魅力的なフィールドを作り上げる力を持つイラストレーターでした。 そのビジョンが、ぼくの探求心を満足させたのかもしれません。

荒井:さまざまな経験をし、たどり着いたイラストレーター。 メディアの中で活躍するとおっしゃいましたが具体的にはどのようなことでしょうか?

秋山:ぼくが考えるイラストレーターの活躍のフィールドのひとつが「ポスター」です。 ポスターは1枚の薄い紙に印刷するという非常に単純なものです。 絵画の場合はキャンバスを海外に送るには保険に加入して、木箱に梱包し厳重な形で輸送しますが、ポスターは丸い厚紙の筒にいれてジェット機に乗せれば、国境をいとも簡単に越えられます。 展示方法も外国の街の壁などに貼られ多くの人の目に触れる。そんなスピードと軽やかさがありました。

もうひとつのフィールドは「本」です。 複製品として本の持っているコミュニケーション力は絶大なものがあると感じました。 ぼくは本が好きで、ぼくの人生の中に本がないと生きて行けないくらい必需品のひとつです。 本を通して豊かな知識や哲学、あるいは美学なども理解することができました。 また作品の画集などは絵画を理解するきっかけを与えてくれて、とても大切なものでした。



[ 第3章:表現 ]



秋山孝公式サイト

秋山孝ポスター美術館長岡

日本ブックデザイン賞

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第8章:創作の旅

第7章:本

第6章:社会活動

第5章:ポスター

第4章:教育

第3章:表現

第2章:技法

第1章:イラストレーション

【はじめに】秋山孝 / 荒井立

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