第7章:本



東京装画賞

荒井:様々な社会貢献をされてきたのですね。 そして最近力を入れているのが「東京装画賞」。 コンペティションの目的でもある本の持っている魅力を引き出すデザインについてお話して頂けますか?

秋山:1970年、ぼくが17歳のときに友人が発行していた同人誌「文学街道」の装丁、装画を担当したのが、ぼくの最初のブックデザインです。 それから数多くのブックデザインを手掛けてきましたが、ブックデザインで重要なのは「コンテンツ」を、いかに読みやすく、わかりやすく、保存に耐えるようにするかです。ブックデザインの仕事はそれにつきます。

さらにぼくがこだわっていることは、本の持っている魅力の正体を明快にして、読者に対し、その本の持つ美しさを正しく伝えることです。本はぼくの心の栄養素であり、そして人生の友であり、決して失うことの出来ない羅針盤なのです。

ぼくはいつの間にか自分自身が本の著者となり、ブックデザインのみではく、コンテンツ(本文)も書くようになりました。自分で本文を書きブックデザイナーとしてデザインした本は、ぼくにとって最高の幸福感や満足感を与えるものになってきました。本文の紙やサイズを決めたり、表紙のデザイン、さらにジャケットまで自分自身で作り上げるという、つまり1から10まで自分で作り上げたという創作者魂を非常に刺激するものになるのです。

荒井:本文を書きブックデザインも行う。非常に大変な作業だと思いますが、本が出来上がったときの喜びはひとしおでしょうね。秋山さんご自身が手掛けた書籍を幾つか教えて頂けますか?

秋山:ぼく自身が手掛けた本の例を言えば、1949年の中国建国初期から文化大革命を経て改革開放までの中国ポスターをコレクションし、時代順に分析し研究したものです。まずは展覧会、次にカタログ、最後に単行本としてまとめ出版しました。また、大学のイラストレーション原論の講義から講義録をまとめ、雑誌の連載を経て、一冊の本を制作、出版しました。

Chinese Posters/秋山孝/朝日新聞出版/2008


このような長期間に渡る学問的な研究を体系化し、本のシステムによってまとめあげる喜びは計り知れないものがあります。 自分の脳の記憶から、研究したことすら忘れてしまうような細部までを、文字と図像を使ってぼくの記憶能力を超えた「記録」を作ることがことに対して感動するのです。

本を分類してみるとたくさんの種類があります。 自分の心の中を描く詩や短文、小説や物語。 これとは違い何十巻にも渡り事象を網羅した記録としての魅力を持つ大百科事典、言葉というものを体系化した辞典など森羅万象を知る為の本もあります。 聖書や仏典などは信仰を通した長年にわたる名著です。 さらに絵画などをまとめた作品集、また漫画本や本自体が飛び出すポップアップ本など、本当に多岐にわたります。 有志以来数えきれないほどの膨大な冊数がありますが、それらの中から自分の心に一番響いたものを座右の書にすることをお勧めします。


荒井:せっかくなので秋山さん自身の座右の書や、クリエイターに読んでほしい本などあれば紹介していただけませんか?

秋山:まず人生の難題にぶちあたった時に読むと勇気が湧き、心が冷静になれる本を2冊紹介したいと思います。 著者はともに神谷恵美子(かみやえみこ 1914-1979)で、著書は「生きがいについて」と「こころの旅」(みすず書房)です。

「生きがいについて」は何の為に生きるかという命題に対し、「生きがい」という言葉をとことん突き詰め、集約した本になります。著者は1935年に津田英学塾を卒業し、コロンビア大学に留学しました。 その後1944年に東京女子医専を卒業し、同年東京大学医学部精神科に入局した後、1952年大阪大学医学部神経科に入局、そこでハンセン病に出会い15年間長島愛生園に勤務。医療行為を通じ患者の「生きがい」を思索した名著です。

生きがいについて/神谷美恵子/みすず書房/2004


「生きがいについて」の文末には「単なる生命の一単位に過ぎなかったのであり、生命に育まれ、支えられてきたからこそ精神的な存在でもありえたのである。 また現在もなお、生命の支えなくしては、一瞬たりとも精神的存在でありえないはずである。 そのことは生きがい喪失の深淵に彷徨ったことのあるひとならば、身にしみて知っているはずだ・・・たえず新たにひかりを求め続けるのみである。」と書かれています。

もう一冊の「こころの旅」は心の成長過程を詳細に分析し、人生の旅の始まりから終わりまでを医者の立場から名文を持って分かりやすく綴ったものになります。

こころの旅/神谷美恵子/みすず書房/2005


「こころの旅」の文末では「生命の流れの上に浮かぶ[うたかた]にすぎなくても、ちょうど大海原を航海する船と船とがすれ違う時、互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きている間、さまざまな人と出会い、互いにこころのよろこびをわかち合い、しかもあとから来る者にこれを伝えて行くようにできているのではないだろうか。じつはこのことこそ「真の愛」というもので、それが心の旅のゆたかさにとって一番大切な要素だと思う・・・」と述べられています。

ぼくはこの2冊を読んで、人間が生まれてから死ぬまでの心の旅と、人生を生きる力とは何かということを学びました。 たとえどんな試練を受けても立ち上がれる精神的な強さ、どんな状況でも喜びと満足感を持てるしたたかさ、人が生きる上で持つ使命感を知ることができました。この本を読むと、地球上の生と死は互いに支え合う関係にあるということがよく理解できると思います。癌を煩ってから読んだので、余計に「人間」というものを客観的に見つめ、ぼくに生きる勇気を与えてくれた大切な本になります。

次に、アイデンティティを再確認するための本を紹介したいと思います。 私たちは生まれ育った場所や環境から影響を受け、基本となる感情を作り上げます。日常の忙しさにかまけて、普段見失いがちな根本的な人格形成における源泉を再認識するための本を紹介します。

ひとつ目の本は「A Daughter of the Samurai 武士の娘」で、この本を著した杉本 鉞子(すぎもとえつこ1873-1950)は、大正末期にアメリカで日本人初のベストセラー作家になった人です。 また、コロンビア大学初の日本人講師でもあります。彼女は越後長岡藩(新潟県長岡市)の筆頭家老の家に生まれました。そのためこの著書の書き出しは日本の雪国の描写から始まります。「私のふるさと、越後の国では、雪は何時も大雪で始まり、しんしんとおやみなく降り続き、藁葺き屋根の太い棟木の他には、何も見えなくなるまでにあたりを埋め尽くしてしまいます。(杉本鉞子『武士の娘』大岩三千代訳 筑摩文庫)」当時彼女は、東京の女学校の級友たちにこの話をしたが「鉞のホラ話」と言われ信じてもらえませんでした。しかし、雪国で育った私には情景が鮮明に見えてくるようなリアリティを伴った素晴らしい文章だとわかります。そして、そのような豪雪は「あきらめ」と「我慢強さ」など、雪国の人たちの人格形成に大きく影響を与えたと言われています。

A Daughter of the Samurai/杉本鉞子/Amazon/1925/ダブルデー・ドーラン社


これを証明しているのが、鈴木牧之(すずきぼくし 1770-1842)が書いた「北越雪譜」です。この本は江戸後期に越後魚沼の雪国の生活を書いたもので、雪国百科事典と呼ばれるべき資料的価値を持っています。 牧之は三国街道沿いの越後塩沢の商家に生まれ、縮仲買から質屋業で成功した人です。そんな牧之が紆余曲折の末に出版したのが北越雪譜で、1837年(天保8年)に刊行されました。125話の話が収録され、越後の雪、暮らし、越後縮、自然、生き物、災い、祭りなど、まさに生涯をかけて出版したものです。雪に関する話だけを取り上げてみても、雪の訪れと姿、降る雪の量、雪に包まれた町、夏の雪とかき氷と非常に多彩です。さらに牧之の自然観を綴ったものもあり、雪中の道具、遊び、自然不可思議、恩返しなど、牧之の日常を鋭く捉える詳細な観察眼と描写、それに知識が相まって、活き活きと北国の生活が書かれています。雪国の生活から見えてくる真実感や人間の忍耐力などが詳細に描写され、日常の感動をそのまま表現しているしぶとさや繊細なところに、ぼくは特に心を動かされました。こんなにも足下をじっくり観察した彼の哲学に驚かされ、またその真摯な姿勢に勇気を与えられたのです。

蓑を身に着け、かんじきを履いた男性。『北越雪譜』の挿絵より/wikipedia


さらに文明論についての本「シュリーマン旅行記 清国・日本」(ハインリッヒ・シュリーマン著 石井和子訳 講談社学術文庫)も紹介させてください。 シュリーマン(1822-1890)はドイツの実業家、考古学者でトロイア遺跡の発掘で知られている人物です。幼少期に聞かされたギリシャ神話に登場するトロイアの実在を信じていた夢想家であり、音読より文章を丸暗記する方法で18カ国語を理解する天才でもあり、さらに多くの国でビジネスを展開するほど商才を持った万能の人でした。そしてシュリーマンに関連して案外知られていないのが、彼は上海から江戸に上陸し、転換期である日本の実像を活き活きと書き、探究心と情熱を持ちつつも客観的に観察した見聞録を残しているということです。一ヶ月間の滞在で八王子にも足を伸ばしたシュリーマンは、日本の文明を次のように語っています。「サント・ペテルスブルグに帰ると、友人達はきっと、私が日本の文明をどのように見たかと訪ねるに違いない、私のほうは答える前に、こう問わざるを得ない。すなわち『きみは文明という言葉をどのように理解しているか?』と。もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されているだろうと答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。それに教育はヨーロッパの文明国国家以上にも行き渡っている。支那も含めてアジアの他の国では女達が完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きできる。」と述べている。

シュリーマン旅行記 清国・日本/ハインリッヒ・シュリーマン(著)、石井 和子 (翻訳)/Amazon/1998/講談社


シュリーマンという人間のひた向きさや、彼のまなざしの暖かさや洞察力にこの本を読むと感動せざるを得ないでしょう。 さらに彼は世界を見ている国際的な人間であるということもわかると思います。現代の国際人を越えた経験と知恵を持っていることに驚嘆するでしょう。

今、例にあげた本は絵を描くようにものごとの本質を見ようとし続けた著者の声が、よく理解できるものです。 例えば当たり前の日常をよく観察することによって、そこに深い人間性や自然との営みを見出したり、さらにぼくたちの心の中を作り上げている外界などを見続けることによって発見した深淵を垣間見させてくれるものです。それらはぼくたちに今やっていることを「あきらめるな」と、信じさせてくれる羅針盤のような強い力を持っています。このようなアプローチで創作に打ち込めば良いということを、ぼくに教えてくれました。それは決して難しいものではなく、丁寧にじっくりと腰を据えてやって行けば良いという、ただそれだけのことです。



[ 第8章:創作の旅 ]



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