第1章:イラストレーション



きっかけ

荒井:まずはウォーミングアップということで軽い話題から。子供の頃の絵に関する思い出、例えば最初に描いた絵など覚えていますか?



秋山:最初に描いた絵は記憶をたどっても思い出せないのですが、子供の成長過程はおおむね誰でも同じだと思います。ですから小さい頃はよく絵を描いて親や家族とコミュニケーションをはかっていたと思います。 これら幼児期に共通する成長過程の証明という訳ではないですが、ぼくの子供たちが描いた絵を「らくがき」(1991年 秋山孝著)という本にまとめています。

らくがき/秋山孝イラストライブラリー/1991


この本の絵と同じように、きっとぼくも絵を使い言葉と同様に伝達する能力を少しずつ獲得してきたはずです。その頃は自我というよりも、まだ心が成長している過程なので、絵を描く行為はとても自然で魅力的なものだったと思います。

その後、描いた絵を周りの人が理解してくれたり褒めてくれたりすることに喜びを感じ、小学校1、2年の頃から絵が好きなことを自覚し始めました。褒められることがぼくにとって、美術を始める動機のひとつになったことは間違いありません。

荒井:実は私も子供のころに描いた絵を褒められたことが、美術を始めたきっかけになっています。子供の頃のなにげない出来事が人生を大きく左右してきますね。その後、絵が好きだと自覚を持ってからはどうなりましたか?

マーブルチョコレートの鉄腕アトムおまけシールをコレクションし、下敷き裏表にびっしりと貼っていた。秋山孝コレクション(1961頃)


絵が好きだという自覚を持ったあとに、絵を描いて完成させることは容易ではなく、制作のプロセスに耐える忍耐力が必要になりました。さらに何を描くかという命題を考える葛藤も出てきました。

ぼくは小学校6年生の夏休みに「長岡自動車学校7周年記念図画コンクール」に応募しました。画板を持って出かけ自動車学校をスケッチし、自宅で彩色を施しました。きちんと作品を仕上げたのですが、その絵をよく眺めて、もう一度描くことにしました。どうも教習所の道を車が走っている真実感がなかったため、自分の描いた絵を自己批判したのです。自己納得しないわけですから絵に不満を感じ、その日の夕方から泣きながらもう一枚の絵を描いた思い出があります。その二枚の絵は、2作品とも奨励賞を受賞しました。ということは、もう既に自我が芽生えていて絵の表現の善し悪しを判断し、作品を通して他者とコミュニケーションできるか、ということを疑問として捉えていたように思います。

荒井:小学生の頃からそのような意識があったのですね。自我が芽生えてから絵を描くことが苦しいと感じることが多々あったと思うのですが、なぜ絵を描くことをやめなかったんですか?

秋山:自己表現で最も重要な、カタルシスを味わう喜びを本能的に知っていたのでしょう。カタルシスとは「表現しないではいられない衝動、喜びや満足」のことです。

荒井:なるほど。大人になるにつれ環境の変化に伴って、その気持ちに変化はありましたか?

秋山:根本的な「絵を描く感情」はまったく変わっていません。子供も大人も表現することの始まりは同じなんですね。ただ、中学生になると社会に対して興味を覚え、純粋に絵で表現するだけではなく、社会性を帯びた様々なものから影響を受けるようになりました。それは音楽であったり、文学であったり、スポーツであったり、社会の出来事全般でした。そして、大人になるにつれてビジュアルから読み取れるメッセージに対して、特に心が動くことを認識していきました。例えばビートルズの革新的なポスター表現です。強烈なビジュアルショックを受けました。また、社会の矛盾に対するメッセージ表現にも強く心を動かされました。

ポスターJOHN LENNON/Richard Avedon /LOOKマガジン/1964/秋山孝コレクション


1965年のアメリカ北ベトナム爆撃開始、新潟水俣病の発生。翌年、1966年に中国で文化大革命が起き、世界中で大学紛争が盛んになり、ビートルズが武道館でコンサートを開催。1969年に東大安田講堂を学生が占拠し、機動隊と激突、アメリカでは公民権運動、ベトナム反戦、環境保護、男女不平等是正、ウッドストックのロックフェスなど様々なことがありました。そのような場には必ずメッセージを伴ったイラストレーションがあり、サイケデリックな色彩で強烈な新しいビジュアルを出現させていました。


それらポスターやレコードジャケットのイラストレーションやデザインが、油絵や日本画を超えて、反体制的な新しい時代を予感させていたように思います。ぼくはその影響を受け、高校時代は授業をボイコットしたりもしました。当時は学生達で社会問題を取り上げ、長い時間をかけ、よく議論したものです。

その後、社会がさらにダイナミックに動き、学生運動を古くし、いとも簡単に流行を風化させました。1972年の連合赤軍による浅間山荘事件で、反体制的な運動は終焉をむかえます。

そのような経験を通して社会に対する批判精神は、ぼくのイラストレーションやポスターに色濃く反映されました。そして大学時代に社会のひずみや矛盾に着目し、それらをユーモアを交えたイラストレーション表現で社会風刺する手法を確立しました。そのテーマや表現方法は、60歳になった今も根本的に変わらず、終わりなくビジュアルメッセージを送り続けています。


ユーモアの力

荒井:絵を描く根本的な気持ちは変わらないが、表現方法やテーマが大人になるにつれて変化してきたということですね。そして率直な疑問なんですが、社会風刺とユーモアはあまり関連性がないように感じます。なぜ社会風刺するのにユーモアが必要になるのでしょうか?

秋山:ユーモアには人々の心を開き、難しいテーマでも笑いを持って受け止めさせる万能薬のような力があります。もし、シリアスな問題をそのまま、リアルに表現すると、あまりにも衝撃的で拒絶反応を起こす人々が出てきます。せっかくの表現が理解を妨げるコミュニケーションになってしまうのです。そこでぼくは、やさしくて害のない子供でも描けるようなプリミティブで漫画的な表現をすることが適切だと考えました。例え語っていることは、重くてどうすることもできない解決困難なものでも、ユーモアは解決する力を持っているということです。

荒井:確かに社会問題はシリアスなものが多く、そのような問題からは目を背けがちです。そこでユーモアの力が必要になると。


秋山:人間は社会的な抑圧の中で、日々緊張しながら生活をしています。そういう緊張感の中で、ストレスがどんどん溜まっていく。そのストレスをどこかで解消しなければいけない訳ですが、そんな時にちょっとしたユーモアや笑いがあると、一瞬のうちに心が和みます。気持ちが高まっているときに、ふと笑いがあると、緊張感を取り除くだけでなく、物事に効果的に作用することがあります。やさしいユーモアを持ってコミュニケーションを行えば、相手との間に溝ができることもありません。


言語とビジュアル

荒井:人間同士の言語を用いたコミュニケーションも、制作者と鑑賞者のイラストレーションを用いたコミュニケーションも本質的には同じもの。そう考えると「ユーモア」は、とても重要なキーワードだと理解することができました。丁寧に説明いただきありがとうございます。また、コミュニケーションという新たなキーワードが出てきましたが、秋山さんにとってコミュニケーションとは、どのようなものだと考えていますか?

秋山:ぼくのような仕事をする人間は、二つのコミュニケーション方法を持っています。それは言葉と絵です。また、ぼくは絵を描くことは得意ですが、言葉はあまり得意ではありません。

言葉はたくさんの言語を持っています。例えば英語では愛を「ラブ」、スペイン語では「アモール」、ドイツ語では「リーベ」、ロシア語では「リユボービ」、中国語では「アイ」、ハングル語では「エジョン」、アラビア語では「ホッブ」、タイ語では「クワムラック」、スワヒリ語では「ウペンド」というように、その国の言葉を知らないとコミュニケーションはできません。しかし、ぼくは外国に行った時、イラストレーションを描いてコミュニケーションを図ることができます。その国の言葉ができなくても、外国人と容易にやり取りすることができるのです。言語を超えて理解し合う時に、イラストレーションは非常に重要な武器になりうるのです。

love&aids/秋山孝著


荒井:言語を用いたコミュニケーションと言語を用いないコミュニケーション。日本人は比較的、言語を用いないノンバーバルコミュニケーションが得意だと言われていますが、秋山さんは特に言語を用いないコミュニケーションが得意ということですね。

秋山:現在は英語が公用語になり、英語圏の人は非常に有利ですが、ぼくのように英語圏ではない人は、画像情報(イラストレーション・映像・写真)を多用し、コミュニケーションを取るのも一つの方法だと考えています。しかし、ドキュメンタリーの取材映像などは、言葉がわからなくても強く胸を打ち、心を動かしはしますが言葉や文字で補足してもらわないと、正確には理解できません。そう考えると、画像情報と言葉は車の両輪のように補完し合いながら、より強いコミュニケーション、あるいはメッセージとなりうるのではないでしょうか。

さらに言うと、ぼくは画像情報の中にもそれぞれ違いがあることに気が付きました。ひとつは真実感の表われ方が異なっています。映像の場合は、動いているというリアリティがありますし、写真はストップモーションの説得力があります。イラストレーションには、この両者の強い現場感(真実感)はありませんが、目に見えないものを見えるようにするという「可視化」の力があります。例えば、原発事故の時に内部の構造を見せるためには、イラストレーションが力を発揮します。


このそれぞれの違いを理解したうえで、イラストレーションを描くことが、ぼくたち(イラストレーター)の大切な仕事になると思います。


目に見えないものを描く

荒井:秋山さんが得意としているのはイラストレーションを用いたコミュニケーション。そしてイラストレーションだけでは正確なメッセージを伝えることが難しいので言葉や文字で補足する。まさに秋山さんが制作を続けているポスターそのものですね。そして後半に気になる話があったのですが、イラストレーションの持っている力「可視化」について、もう少し詳しく教えて頂けますか?

秋山:可視化は、特に現代で重要なキーワードになりました。と言うのも、ミクロやマクロの世界は、ぼくたちの目には見えません。医学や化学を説明するときに、ほとんどが目に見えないものの話が中心となっています。それらを解説するときに、文字のみで説明すると膨大な量になってしまいます。しかし、イラストレーション(図)を用いると非常に簡潔に説明することができます。また、科学者や医師同士が理解しえなかった共通概念を、ビジュアルとして脳の中に素早く正確に記録させることもできます。イラストレーションは可視化の力で医学や科学の進歩に貢献していると考えられます。

さらに言えば、イラストレーションは物理的に目に見えないものを可視化するだけでなく、心の中にある目には見えない世界を描くことも可能です。それは芸術全般に渡る仕事と同じと考えて良いかもしれません。例えば、ぼくたちが一度も見たことがないキリストやブッダ、あるいはギリシャ神話に登場する神々などです。

キリストの磔刑(サン・プラシドのキリスト)/ディエゴ・ベラスケス/Wikipedia/1629-1630/プラド美術館

ワット・チェディ・リエム寺院の絵/Wikipedia

ヴィーナスの誕生/サンドロ・ボッティチェリ/Wikipedia/1483頃/ウフィッツィ美術館


ギリシャやローマ時代には、神を理想とし、人間に近い美的な図像を作りあげ、聖書の中に登場する人物を目に見えるように表し、人々に生きる力を与えてきました。現代では美味しそうなアイスクリーム、悲しげな植物、暑い空気、透明度の高い水、苦しみのある無表情、凍りついた心など、言葉では簡単に言えますが、描く(イメージする)には大変苦労するものをイラストレーションは可視化しています。

荒井:とても大切な話だと思うので、今までの内容を少しまとめさせてください。イラストレーションの本質は可視化。そして可視化とは「物理的に目に見えないものを描くこと」と「心の中にある目に見えないものを描くこと」のふたつ。もし良ければ何か具体的な例をあげて、さらに説明してもらえないでしょうか?

秋山:「物理的に目に見えないものを描く」例のひとつとして、胎児の成長過程をあげましょう。ぼくたちは自分の体内を見ることはできません。それで胎児エコー検査などで透視しますが、影を見るようなもので、それは具体的ではありません。そこに登場するのがイラストレーションを使った「図解」です。胎児の成長過程は図解によってクリアにイメージすることができます。

胎児の成長/秋山孝/季刊セルフドクター2009年春号/2009


もうひとつ「心の中にある目に見えないものを描くこと」の例をあげましょう。ぼくが1977年に制作した学生時代の習作「風景」です。

風景/秋山孝/1977


これは、形而上絵画派のジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)やシュールレアリスムの手法を使い表現したものです。パッと見ると、リアリスムのようですが、木の形など良く見ると現実にはありえない、ぼくの心の中のイメージを描いたものだとわかります。

ジョルジョ・デ・キリコ/カール・ヴァン・ヴェクテン/wikipedia/1936

The Enigma of a Day/ジョルジョ・デ・キリコ/MOMA/1914


形而上絵画とは、1917年にパリで提唱されたイタリアの美術運動の一つで、未来派の後にその反動として現れました。神秘的な風景や静物のなかにメタフィジカル(形而上的)な世界を暗示しようとしたものです。シュルレアリスムを創始したアンドレ・ブルトン(1896-1966)は、デ・キリコの形而上作品を、シュルレアリスムの源泉に位置付けました。シュルレアリスムとは、偶然にできたものや、意識の介在から解き放たれた夢の中に現れる意識しない世界(超現実)を描くことを言います。

アンドレ・ブルトン/wikipedia


ぼくの「風景」の絵を見ると、シュールレアリスムの中で重要なオートマティスム(心理学用語で「自動筆記」「自動記述」)やデカルコマニー(転写法)が、大地や岩、木の表現に見てとれます。


わかりやすさを追求したイラストレーション

荒井:ありがとうございます。イラストレーションの持っている力「可視化」への理解がグッと深まりました。そして、シュルレアリスムなど絵画の思想や技法の話が出てきました。少し飛躍した話になってしまうかもしれませんが、秋山さんは絵画とイラストレーションをどういう関係のものとして認識されていますか?

秋山:今から200年以上前、絵画とイラストレーションは同じ役目を担っていました。ところが、ファインアート(純粋美術)と呼ばれる絵画の概念が生まれると、絵画とイラストレーションを分けて考えるようになっていきました。

西洋美術の流れを見ると、初期は宗教絵画が中心でした。教会に描かれる絵、つまり神の世界を可視化する説明画でした。システィナ礼拝堂の天井にミケランジェロ(1475-1564)が描いた「天地創造」を思い起こしてください。そこには、想像を越えたダイナミックな神の世界が描かれています。

太陽、月、植物の創造/ミケランジェロ・ブオナローティ/wikipedia/1508-1512


あるいは、イタリアのルネッサンスの画家、シモーネ・マルティーニ(1284-1344)、フラ・アンジェリコ(1387年頃-1455)、それから皆さんの良く知っているレオナルド・ダ・ビンチ(1472-1473年頃)の美しい絵画「受胎告知」を見ると、天使ガブリエルがマリアに向かって「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みを頂いた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい…」と告げます。

受胎告知/シモーネ・マルティーニ/wikipedia/1333/ウフィツィ美術館

受胎告知/フラ・アンジェリコ/wikipedia/1430年頃/ディオチェザーノ美術館

受胎告知/レオナルド・ダ・ヴィンチ/wikipedia/1472-1475/ウフィツィ美術館


神秘的で、ありえない神がかった世界を美しく描いています。これらはイラストレーションの基本となる「物理的に目に見えないものを描くこと」と「心の中にある目に見えないものを描くこと」ふたつの要素を端的に備えています。

さらに時代を経て、絵画表現における純粋造形を求めるようになってくると、絵画的思想の「イズム」が登場してきます。それは、フォビスム、キュビスム、フューチャリスム、抽象主義、構成主義といった、絵画上の意味の説明を排したピュアな考え方が登場し、絵画とイラストレーションとの間に一線ができました。

そして印刷メディアの出現によって、イラストレーションはメディアの中で活躍する、もう一つの絵画になったのです。大量生産という仕組み、産業革命の流れに沿って、イラストレーションは絵画とは違う発展をしていったのです。

荒井:絵画上の意味の説明を排したピュアな考え「純粋美術(ファインアート)」の登場により、絵画とイラストレーションに違いができたとの事ですが、より具体的に教えていただけますか?

秋山:絵画は神の世界を描いてきたと言いました。それは旧約聖書、新訳聖書などの奇跡や啓示など、説明画的な要素が大きかった。

次に肖像画が描かれるようになり、その後、人間から物へ、物から風景へと、モチーフが変わっていきました。それが静物画、風景画というものです。

パイプと水差し/ジャン=シメオン・シャルダン/wikipedia/ 1737年頃/ルーヴル美術館

ブラックベリーパイの朝食/ヘダ・ウィレム・クラー/wikipedia/ 1631/ドレスデン美術館


しかし、それだけで人間の探求に終わりはありません。さらに純粋度をましていくと、「形=意味」を排除し、マレービッチ(1878-1935)の表現に見られように白い正方形、黒い正方形のみの絵画が登場し、

白の正方形/カジミール・マレーヴィチ/wikipedia/1918

黒の正方形/カジミール・マレーヴィチ/wikipedia/1915


モンドリアン(1872-1944)は樹木を描くことで、直線のみの純粋抽象的な絵画を作り上げ、

Gray Tree/ピエト・モンドリアン/wikipedia/1911


シュールレアリスム絵画を描いていたポロック(1912-1956)はアクション・ペインティングの画法を使い、抽象表現主義をものにしました。

One: Number 31/ジャクソン・ポロック/MOMA/1950


さらに上げれば切りがありません。

表現する絵画を探求した結果、よりピュアな純粋性が現れ、そのような絵画によって、ぼくたちの心の中に新たに「考える楽しみ」が生まれました。そして一方、イラストレーションはメディアという巨大な仕組みのなかで、「わかるという感動」をもとに、大衆の心に入り込み共感をつかみとります。これらの違いが歴史から認識できる絵画とイラストレーションの違いです。


広大な活動領域

荒井:極端な言い方をすると、表現を深く追求していったのが絵画(ファインアート)。大量生産されるメディアの中で、わかりやすさを追求していったのがイラストレーションということですね。秋山さんは学生時代、基本的な絵画表現であるファインアートを勉強してきたと思いますが、その後、イラストレーションを選んだのには何かきっかけがあったのですか?

秋山:現代の絵画芸術は、あまりにも一般大衆が理解するには困難なものになってしまいました。どこが難しいかというと、現代の絵画を理解するには今までの絵画を深く理解しなければなりません。過去の歴史の上に成立するものなので、突然目の前に現れた現代の絵画を見ると哲学的すぎて、難しい哲学書を読み解くような衝撃を与えます。だから理解できた時に深い感動を受けるともいえるのですが・・・ぼく自身は、その感動を良く理解できたのですが、それ以上に現代のメディアの中で活躍する絵画表現(イラストレーション)の魅力に取り憑かれました。

ぼくの青春時代は、今のようにインターネットがあるわけでもなく、新幹線や高速道路が張り巡らされている時代ではありませんでした。目にする印刷物からの新鮮さ、特にイラストレーションが新しいビジュアルメッセージを発信しているように感じ、古い美術館の緊張感のある空間の中で見る絵画とは異なり、街あるいは空間そのものを美術館に変えてしまうような、広大な活躍領域を持つイラストレーションの新鮮さに心を打たれました。例えば、新しい音楽などを象徴するレコードジャケットのイラストレーション、あるいはポスターのような多くの部数がある大型印刷物のイラストレーションに、新しい表現としての息吹を感じたのです。

Cheap Thrills./ The Official R.Crumb Site

The Rolling Stones US Tour 1978/wikipedia


それは何ともいえず、重々しい絵画とは異なり、フットワークの軽いメディアが持つ独特の気持ち良さがありました。「新しさ、軽さ、スピード感、明るさ」に取り憑かれたんですね。



[ 第2章:技法 ]



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秋山孝ポスター美術館長岡

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第2章:技法

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【はじめに】秋山孝 / 荒井立

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